震災時の交通渋滞を緩和する方法(前半)
新年しょっぱなの本紙の決意表明が余りに情けないものだったので、最初の記事は「世の中の役に立つ」ものにしたいと思います。
少々古い話ではありますが、東日本大震災のあの日、あなたはどの様にして帰宅したでしょうか?
あの日、東京では首都高が全面通行止めになり、全ての鉄道・地下鉄が停止しました。
そうなると東京で働く多くのサラリーマンは、あっと言う間もなく帰宅困難者になりました。
何せ、電車やバスでの平均通勤時間が1時間超なのですから、徒歩で帰るとなると途方もない距離であり、トホホな状況になりました。
そこで、一部のあざといサラリーマンは自宅に電話し「おいっ、電車が止まって帰れないから、車で迎えにこい!…来たら何でも買ってやるからさ…」と言ったから、さあ大変!
東京は、あっと言う間に他県ナンバーの車であふれかえったのでありました。
何時もの自動車通勤族だけでも大渋滞なのに、他県のお迎え部隊といつもは都心の車庫で眠る社用車やトラック、そして、東京のタクシー5万台全車がお客を乗せて走ります。
当然、東京は史上最大の交通渋滞に見舞われたのです!
中でも、渋滞が酷かったのが、東京と隣接県を結ぶ橋でした。
ちょっと地図を確認して下さい。小さな東京は、海と川と山に囲まれた天然の要塞なのです。だから徳川家康はここを本拠地に選んだのですね。
現在も東京と千葉埼玉神奈川の間には大河が流れ、田舎者は橋を渡らなければ東京に入れません。
さて、ここで問題です。
東京と他県を結ぶ橋は何本あるでしょうか?
答えは、地図にありますから調べてみましょう。
ともかく、その少ない橋を渡らなければ家に帰れない田舎者達は、砂糖に群がるアリのごとく橋に集まったのです。
1本の橋に数万台の車が一度に結集したのですから、橋の手間が大渋滞になるのは当然です。
しかし、もしも橋を渡るのが自動車だけであったのなら、この渋滞はもう少し流れていたでしょう。
実は、この渋滞の最大の要因は、橋を歩いて渡る貧乏人の存在にあったのです。
通常、橋を渡るとすぐに交差点になり、車と人は三方向に分かれますね。
真面目な日本人は、こんな場面でもちゃんと信号を守るのは良いのですが、徒歩の貧乏人はもう10キロ以上歩いており、コンビニの食料もすぐに売り切れ腹ペコで疲労困憊でした。
その上、3月とはいえ日が沈むと東京はまだコートが必要で、寒さはより体力を消耗させ判断力を奪います。
さて、こんな状態で人間はどう歩くのでしょうか?どのように横断歩道を渡るのでしょうか?
★★以下、次回に続く★★