日本しんがり新聞社

ボケ老人の妄想記事ですから、怒らないでね…(^ ^)

新聞とネット

新聞の発行部数が激減してるのは周知の事実で、もう「ナベツネ」みたいな訳分からん人種が発生する可能性は消滅するかもしれない。ざまーみろ!なのだが、ネットに似たような人物が現れない保障はないので、我々の苦悩は続く・・・・。そう、ブログで影響力絶大な人物が現れ、時の政権がそいつと手を組めばこれは可能なのだが、我々はネットにより大きな「発言権」を得たのだから、彼らに騙されないよう日々努力しなければならない。

と仰々しく始まった今日の記事ではあるが、今日は「新聞の薦め」である。何を時代遅れな!と思ってはいけない。確かに新聞に書かれてることのほとんどはネットで見れる。興味があるなら色々調べられるし、第一利便性が違いすぎる。そうそう、全くその通りで反論の余地もない・・・・(^^;)

しかしであります。よーく考えて欲しいのでありますが、あなたは暇な時、ネットをどのように活用してますか?有り余る情報をその見出しで判断し、興味あるものにだけアクセスしてませんか?これって、いいことなのでしょうか?否、悪くないと思うんですが、これじゃ、あなたは食わず嫌いが多くなるんじゃないですか?好きなものだけ選んでたら、本当に困った時、正しい判断が出来なくなる可能性があるんじゃないかなと思った次第です。

そもそも「脳」は人生で困った時に「過去の経験」から「自分の好き嫌い」を判断し、より好き(安全もしくは快楽)な方を選ぶように出来ています。だから、ネットで好きな物を選ぶ行為は正常なのですが、問題は、人生の岐路における正解が「好き」な方に存在してたかどうかです。つまり「嫌い」に正解があった場合、あなたは永遠に正解にたどり着けません、って事になりかねないのです。ここが、ネットの最大の弱点です。そう情報量が多すぎるのがいけないのです。

一方、暇な時に新聞しかなかった場合、あなたは興味のない記事にも目を通し、雑誌の広告まで丹念に読みます。株価・文化芸能・書評・政治経済・野菜の相場等々日頃全く縁のない世界がそこに広がってます。これこそ「教養」と呼ばれるものです。そして、関係ないと思われるものから正解を導き出す力こそが「推理力」「判断力」と呼ばれるのです。広い教養なくして、正しい判断は出来ません。そう、正解を見逃さない為に、真の教養を身につける為には「新聞」こそ最適な手段なのです。間違ってます?

なんて、偉そうに断定した私は、新聞をとってません!怒らないでください。別に、騙した訳じゃなくて、これは真実の話ですから・・・・・(^^)
                       以上

(あー、ナベツネさん、ちゃんと新聞の宣伝しましたから、例の物はよろしく!)