日本しんがり新聞社

ボケ老人の妄想記事ですから、怒らないでね…(^ ^)

「物事の2面性」について

例えば、「1+1=2」という計算式は算数の世界ではウルトラスーパー超「真理」で、2面性など持ち得ない。これに反論できる中高生は変人として嫌われ者になってると思うが、化学の世界ではこの式が成立しないことが多々ある。

また、小学校低学年が「3!」と答えると親は烈火のごとく怒るか、トイレで密かに涙することになるが、ほらっ、これを正解するかどうかで、その当人と親には天と地のほどの差ができる。

上記の例が「物事の2面性」の証明になるかどうかは別にして、一つの事象はそれを受け取る人間の数だけ多様性を持ちうる。民主主義の社会ではこのような場合、えてして「多数決」を持ち出して「正解」を求めようとする風潮があるが、トンカツに醤油かソースか?ならご愛嬌なのだが、時に「多数派」は暴走する。

特にマスコミは「社会正義を守ってるのは俺だ!」の意識過剰な人間が多いので、また、それを「知識人・学者」の言葉を使って「正当化」する術を心得ているので、性質が悪い。特に最近はネットが発達したせいかどうか知らないが、現場に脚を運ばないで記事を書くことが多いらしい。これを嘆く古老のマスコミ人はいるのだが、答えが1つの「マークシート」世代の耳には聴こえない。「だって、答えはネットにあるもん。」ふーっ、だから世間は活字媒体を買わない。ネットで自分が納得したい答えを探す・・・・。

また、大人は若者によく「想像力を働かせよ!」というが、たいていの場合「俺の想像力を想像しろ!」と言ってるに過ぎない。つまり、大人は大人の考えを押し付けたいだけなのだ。「真の想像力」とは、一つの事象に対し、人は様々な反応を示してる事実を忘れないことから始まる。その上で、「こういう立場の人はこう考えるだろうか?」と立ち位置に応じて考えを巡らして行かなければならない。そう、人間世界の想像力は大変な作業なのだ。だからこそ、人は物事を単純化して考えようとする。そんな面倒な事したくないもんね。もしくは、一方に肩入れして考える。これは楽だし、時に金が儲かるから・・・・。大企業ベッタリの官僚がいい例だ。

このようにして、世界は「単純化」の方向に向かうのであるが、世の中そんな単純ではない。そう、単純化で無視された方だって、いつまでも黙っているわけには行かない。また、それこそ世界には多様な民族・宗教等があるので、この「単純」VS「単純」の戦いは、根が単純なだけに和解が非常に難しくなる。そう、少しでも譲歩すればそれは負けに等しいから・・・・。

うーん、話が大きくなりすぎて、自分でも最初何を言いたかったのか忘れてしまった・・・・(TT)。
「誰か、想像力を働かせて答えを教えてください!」(^^;)



あっ、そうだ。「歴史の2面性」の話を書こうとしてたんだが・・・・そろそろお時間になりました。続きはいつの日にか!(^^)